鉢呂経産相辞任問題、猛省すべきはマスコミ

 朝日新聞、9日夕刊の一面に小さく『原発被災地 経産相「死の街」』の記事。前日に野田首相らと視察に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について、「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」と述べた。記事はさらに『いまだ多くの人々が放射性物質がもたらす健康への被害を懸念し、住み慣れたふるさとをはなれざるをえない状況のなか、原発事故の被災地を「死の街」と表現したことは今後問題になる可能性がある。』と締めくくっている。

 私はこの記事を読んで一体どこが問題なのか、全く理解できなかった。俺の感覚は世間とは異なって、全く隔絶しているのかな?と思っていた。テレビでも被災地住民が「鉢呂経産相は辞めるしかないね」などとしゃべるのを放映している。その後、鉢呂氏の「放射能つけちゃうぞ」発言が追加して、結局、マスコミの思惑通り、鉢呂氏は辞任した。

 マスコミにとっては、閣僚を一人辞任に追い込んだことで万歳といったところか。

 しかし、どうも納得できないと鬱々としていたところ、朝日新聞13日の声欄に「鉢呂氏の発言 非難は的外れ」の投稿。続いて17日声欄に「「死のまち」にした反省こそ」の投稿。13日の投稿者は、鉢呂発言は、事実を率直に表現したものであり、鉢呂発言によって、安全をなおざりにして原発を推進してきた政治家、官僚、電力会社、学者に対する怒りがこみ上げてきた。非難されるべきは、鉢呂氏ではなく、「死の町」を生み出したこれらのものたちのはずだと指摘している。さらにその責任追及こそメディアの仕事ではないのか、横並びで揚げ足とりするメディアの姿勢に強い不信を感じるとメディアを強烈に批判している。
 17日の「「死のまち」にした反省こそ」の投稿者は、鉢呂氏の率直な感想を「問題にする方がおかしい」と断定し、「誰がこんなまちにしたのだ!」と怒りを表明している。さらに鉢呂氏の発言は、「核と人間はかくも共存できない」旨の証言として受け止めるべきで、安全なエネルギーへの転換を政治の重要課題として期待すべきと述べている。最後に投稿者は、「原発に反対してきた福島県民の一人として原発推進のための多額の交付金と人間の生命・財産の引き換えが正しかったのか、反省が大切だと訴えたいのです。」と締めくくっている。
 両投稿とも鉢呂発言を肯定的に捉え、発言を問題にしたマスコミを批判している

 私は、これらの投稿を見て、はじめて自分のマスコミに対する不信感が的外れではないのだと悟った。個人的には鉢呂氏の辞任は、「放射能つけちゃうぞ」発言が事実ならやむをえないと思っている。しかし、「放射能つけちゃうぞ」発言でもマスコミはそれ以前に批判すべきことがあるはずである。

 そもそもあの白い防護服の役目は何か。あれは放射線を防ぐというよりも単なる埃避けに過ぎない。あの防護服と呼ばれているタイベックは、福島原発事故が起こる前はアスベストの除去作業で主に使われていた。その役目は、アスベスト除去作業場で作業者に付着するアスベストを作業場以外に持ち出さないためである。だからあのタイベックはアスベスト除去作業場から外部に出る場合には、セキュリティゾーンといわれる場所で脱いで出る必要がある。今回も同様にタイベックを着た野田首相や鉢呂経産相は、視察を終えて車に乗車する時点でタイベックを脱ぐべきであった。そもそもあのタイベックは何のために着ていたのか? それ程危険な場所なら、きっちりとタイベックの管理をするべきなのに、お付の周りの人間は何を考えているのか? マスコミは、福島原発事故に従事した作業者が捨てたと思われるタイベックが道端に捨ててあるのを管理不備と非難して報道していたではないか。タイベックを着て、のこのこ報道陣の前に姿を現すこと自体があってはならないことなのである。

 オフレコとはいえ、「放射能つけちゃうぞ」発言をする鉢呂氏を擁護するつもりは全く無い。しかし、大臣の言葉尻を捉えて、「問題だ、問題だ」と騒ぎ立て、世論を誘導しようとするマスコミの姿勢は日本の将来にとって大問題である。そもそも、満州事変から太平洋戦争に日本が突入する過程でマスコミ、特に新聞記者達は何をしたか。国民を煽り立て、軍国日本を形作る片棒を担いだのが新聞ではないか。

 鉢呂氏の辞任会見で偉そうに鉢呂氏を恫喝する記者がいた。他の記者が、その恫喝記者に向かって、「どこの記者だ。礼儀を持って質問しろ」と言うようなことを言っていた。正にそうである。今回の件が、政治的、人間の生き方として深い意味を持つ場合には私も激しく非難したと思う。しかし、今回の件はそうとは思はない。今回の件は正にマスコミが作った正義である。そして、それは完全に間違っている。

 マスコミは、戦前の軍部を責めるが、一体自分達の責任をどう考えているのか?マスコミの役割は権力を握る政権の監視と批判にその役割の一つがあると私は考えている。しかし、言葉尻を捉えて、世論を煽って、大臣を辞めさせる今回のマスコミの手法は、軍部と一緒になって国民を戦争に駆り立てた戦前の新聞記者のやり方と全く同じなのではないか?大臣がまた辞めた、大臣がまた辞めた。任命責任は。マスコミは同じことを繰り返しておけばよいのか?首相がころころ変わって、世界中から信頼されない日本。その原因は、政治家と未熟な政党にあるが、揚げ足取りに走るマスコミにもあるのではないか。

 新聞記者をはじめとするマスコミ関係者に猛省を求めたい。反省すべきは鉢呂氏以上に、マスコミ関係者である。

(2011年9月18日 記)

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